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サハラマラソン2014

2015/10/05

サハラマラソンJP(世界一過酷より過酷)

サハラマラソンに出たい‼


でも、何らかの理由で出れないという人にビッグニュース!


日常の生活をしながらサハラマラソンと同じ時間に同じ距離を走ってしまおうというこのイベント!


詳細はこちらから↓
https://www.facebook.com/events/1617830248478991/?ref=br_rs&action_history=null



2014/07/03

カープ女子

2014年7月1日 晴れ マツダスタジアム


サハラの53番テントで集まってカープvsジャイアンツを観戦しました。


iPhone水没で写真もなくなってしまいました。



最初は私が菊池さんとこへ遊びに行くだけの設定だったのですが


遼くんに誘われたホークス戦の観戦中 SNSで絡んでた尾西が行くと言い出し 隣にいた遼くんも行くと言うので 4人となりました。


さすが サハラの人たちは決断と行動が早いですね。




小学生の頃は大のカープファンだった私。


小5くらいでしたか 江夏の21球はリアルにブラウン管を通して見ております。


中でも幾度となく故意死球を受けながらも

すくっと立ち上がり相手投手に笑顔で大丈夫だよと言う合図をおくり1塁へ向かう衣笠選手が好きで


学校ではワザと死球を投げさせすくっと立ち上がると言う変な遊びをしてたのを思い出し子供だったとはいえ虫唾が走る思いです 笑


オールドカープの話をするとキリがないので…。




当日は昼から休んで新幹線で広島へ。


駅では先着していた尾西がお出迎え。


待ってる間 にしき堂のおねぃちゃんに惚れてたみたいです。


キクは終業してから 遼くんは講義が終わってからと言うことで 尾西と球場をウロウロ。


スタジアムに着くと入口の近くにショップがあったので入ってみると夢にまで見たカープ女子が多勢…。


カープ女子を見て感動しすぎて尾西にツッこまれるが
まさかサハラ以上の感動がカープショップにあるとは思っても見ませんでした。





キクが準備してくれたのはスカイシート。




席は3階席だがちょうど3塁線の延長の位置で見晴らしが良いとこでした。


キク ありがとう!



カレー食ったりカープ女子と写メ撮ったりしてると
キクが来て遼くんも到着。



久しぶりの感じがしないのは私だけか?



試合はシーソーゲームでスタンドも一喜一憂。


最後は先取点が影響した形となり7-8で負けちゃったけど こんなに真剣にプロ野球見たのって思い出せないくらい久しぶりでした。



翌日はキクが仕事だったので広島駅のマクドナルドでハンバーガー食って 彼を終電で見送り各々ホテルに帰りました。


翌朝は私から言い出した早朝練習に寝坊してしまい尾西と私は別々に広島の街をランニング。


野郎3人で宮島行って広島でお好み焼き食って駅で解散。


遼くんとは博多駅で解散。


世代が違う人間の集まりなのに何か自然に感じたのは私だけか…。



また会うんやろうなぁ 笑


2014/06/10

ありがとうございました!

サハラマラソン2014…





笑うかもしれませんが



ホントに夢の時間でした。





これは武藤敬司やディズニーのファンタジーを完全に越えてます。(笑)



内田裕也のロックンロールさえも…(笑)









今回のサハラではほとんど走らせてもらえなかった。



なので筋肉痛はなし。



前半の3日は脱水症状…



後の3日は足裏のマメとの戦い…





??



だから走れなかったのか?



根性がなかっただけじゃないのか?



しかし、装備だとか、ペース配分だとか総合力が問われるサハラでは



根性では引っ張れない部分もある。





オレはたまたま完走したのか



自分なりの鍛練、精神力があったからこそ完走したのか。





脱水症状でリタイアした人がいる…



脱水症状で完走した人もいる…





シューズが壊れてリタイアした人がいる…



シューズが壊れても完走した人もいる…





フルマラソン3時間前後の人がリタイアしたり…



運動経験のない人が完走したり…





ランナーとウォーカーの違いもあり



コスチュームの違いもあり



コンディションの違いもあり



装備重量の違いがあり…





今回は例年より暑かったそうだ。



しかし、マラソンステージが曇りだったり



大きな砂嵐が吹くこともなかった。





こうやって振り返ってもわかる部分とわからない部分がある。





でも、今回は自分なりに積み重ねたものがあったから完走したことにする(笑)







しかし、来年完走する保障などどこにもない。







ん?







来年?







出ます!(笑)







もう金払ろた(笑)







後輩も出ます!



別のところに行くのをイメージしてたけど



オレが出るとこに出るって聞かなくて



彼にもMDSを味あわせたくてね。





2人で完走目指します!!






次回はまた違うコースが設定されるが



1度それを経験し、またスタートラインに立つにあたり



1つだけ怖いことがある…。





それは学ばないことだ!!





目標は定まってないが気持ちは自然とサハラに戻りたいと思ってるから大丈夫だと思うけど…笑。









今までサハラマラソンには日本人選手で延べ900名程度の方たちが走られていると思います。



他の方たちと比べると私の体験談など参考にならないかもしれません。



しかし



このブログを通して自分なりにサハラマラソンを紹介してまいりましたが



読んでくれた人の中から〝いつかは出たい〟と言ってくれる人がいたり



ねぎらいの言葉をかけていただいたりしました。



自分で読み返すと吐き気がしますが勇気を出して書き込んでよかったと思ってます。





ここまで読んでくれた皆さん



サハラを走るまでにご迷惑をおかけした皆さん



応援してくれた皆さん



今回は〝完走〟という形でお礼を申し上げることができてホッとしております。



本当にありがとうございました!





また、砂漠へ戻ることになりますが



そこで学び感じたことで地域や皆様へ貢献することを誓います!(笑)





サハラマラソン…



みんなそれぞれの思いでスタートラインに立ち



それぞれにドラマがあり



走力は違っても同じ極限がみんなに平等に訪れる。





もう1度あのスタートラインに立つことを決めました。







2014/06/05

感じること、伝えること…

朝食の後、ホテル前からチャーターバスに乗り10分ほどでワルザザード空港へ。



↓長い出国手続き
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これでモロッコともお別れ。
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↓にわかカープファンも
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みんな表情が穏やかだ。

確か14時くらい?に着いたっけ?



オルリーからモンパルナスまではキクと尾西とタクシーで。





ホテルに着くと3人で近くのカフェに食事へ行く事に。



コアメンバーがみんなで行こうと誘ってくれたのだが



部屋でゆっくりしたいのが勝ってしまって…



キクは遼君がくれたUSA仕様のロキソニンが効きすぎて大変そうだし。





〝寂しがり屋の一匹狼三人衆〟の軽い打ち上げみたいになって



それはそれでよかったのかなと…。





ホテルではまたキクと同部屋。



晩飯食って名残惜しみながら寝た。



オレは最後の夜、あんまり眠れなかった。



キクは出発前の2泊はオレの屁で起きてたが



この時はもう慣れたのかぐっすり寝ていた(笑)
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翌朝、キクは朝1のバスだったので6時には起きてバイキングへ。



USAのロキソニンは恐ろしい…



キクの食欲が低下している(笑)





そしてホテル近くのバス停までキクを見送りに…
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その後、チェックアウトまで少し寝てシャワーを浴びてホテルを出る。



帰りの飛行機は22時だった。



ホントは1人で観光して帰ろうと思ったが



足裏のダメージとデカいトランクもあるので



先にドゴール空港へ行くことに。



13時ごろに空港について…



あれ?



日本の空港みたいにお店がない…



ちょうど昼時なので小さなカフェもフルで座れない…



空港を隅から隅まで歩くがなんもない(笑)





搭乗手続きをし中に入らないとお店がないみたいで。



15時くらいまで何とか粘りそこからカフェで17時くらいまでボーっとして



また外をウロウロしていると スーパーおじさんの橋本さんが座っておられた。



橋本さんは年代別2位だ。



橋本さんの飛行機は21時だと聞いて、みんな観光する余力はないのかなと…



橋本さんにいろいろ教えていただいてると志和さんと稲永さんも来た。





やっと搭乗手続きの時間になりDuty Freeを各々回ることにしていちおお別れの挨拶をする。



オレは最小限のお土産を買い足の裏が大変だったのでレストランで時間を潰すことに…。

1時間くらい座ってると、買い物をすませた橋本さんが同席してご一緒させていただいた。



橋本さんはここでもご自分の出場までの経緯や今まで出場したウルトラマラソンの事、ずっと日本人2位だった事、練習方法…なんでも惜しみなく話してくれる…



そういえば サハラに出る日本人選手は走力のレベルを問わず、自分の知識や経験を惜しみなく教えてくれる。



彼らみたいに大きい人間ではないが私もその点では惜しみない方だが…





それと、出発前の食事会で数名の人が日本人は自分の経験をもっと伝えるべきだ、伝える習慣をつけるべきだと言ってたのを思い出す。



写真で紹介した通りおかしな格好をしてマラソンを走る集団だが、自分が経験して何かを吸収することに関しては貪欲な人たちだ。





いつまでできるかわからないが、私は今いる組織で自分がサハラで感じたことや



自分の知識や経験を伝えることの大切さを臆せず伝えていこうと思う。





サハラマラソンは確かにいろんな意味で過酷だった。



それは私にとってすごく影響のあるものであり特別なものになった。





ただ、時間の使い方は自由だ。



私が砂漠を走ってる間、仕事したり、家族と過ごしたり、遊んだり、趣味に費やしたり、寝転んでたり…



サハラを走った事は自分にとっては特別だが、それがすべての人に通じるわけではない。


しかし、今までは自分を褒めたりかばったりする言葉をほとんど吐くことはなかったのだが


今回、完走したことよりもサハラマラソンに出場しようと思い、そしてスタートラインに立ったことを誇りに思っている。






帰りは成田経由で福岡へ


16時間のフライトだったが機内では爆睡していて起きたらあと2時間で成田だった。


トイレに行って座席に戻ろうとするとオレの真後ろにブーちゃんさんがいた。

わかっていればもっと話せたのに…。

飛行機を降りようとするとビジネスクラスにハルがいた。

MDSのバックパックを背負って…
ハルは現地で来年の出場宣言をしている。

荷物の受け取り場所では阪ペロとオトシもいた。

面々にお別れして手荷物が来た順に空港を離れていく。

オレもそのままドメスティックの方に向かいカレーを食ったあとボーッとしながら福岡行きを待った。

福岡に着いたのは20時過ぎだったか…。

これですべて終わりや…。

なぜかこの日は寝るのが惜しかったので中洲へ向かった。

Happy

ベースキャンプでは Happy がいつも流れていた。



http://touch.dailymotion.com/video/x1ug211_happy-desert-29th-sultan-marathon-des-sables_sport





会社では荒くれ者とバイアスをかけられ後ろ指を指されているオレだが 実は Happy と言う言葉がずっと好きだった 笑



幼少期はどうすれば暗い顔してるやつが笑うかとか考えクラスの前でいつもふざけていた



会社でも下向いてるやつがどうすれば前向きになれるかだとか



上司の批判がある部署に出向きその上司がどんなにバカ野郎でもビジネスを成立させるようにしたりとか



クラスや会社で独りぼっちのやつがいたらそうならないようにしてきたし



そして…



もう いいや…(笑)



そういうことや今まであったいろいろな事はサハラが9割以上解決してくれた。





レースが終わってワルザザードのホテルに帰り日本人選手と何度もすれ違うが



つい数時間前までの苦しみがウソのようにみんな笑顔で挨拶を交わす。



レース中話せなかった人もたくさん話してくれるしみんな幸せな顔している。



なんなんだろう…



感覚的なものなので言葉にするのは難しいが



みんなそれぞれ違う目標を掲げ同じゴールを目指してきたからか。



オレ的に言うとサハラが我の強い人間たちを1つに纏めてくれたのかなと…





ここまでレース中に起こったことを曖昧な記憶で振り返ってきたが



帰国してサハラのことを聞かれて最初に思い浮かぶのは



苦楽を共にした日本人選手のことだ。





サハラの出場者は個人事業主や社長率が高かったように思うが



私は今回の日本人選手に大きく影響を受けている。



レース中はネガティブな考えでは完走できない。



1cmでも前に進まないと制限時間に間に合わない。



常に脳みその中をシンプルにしておかないと完走できない。



雑談以外でもレース中の彼らの準備や対処の仕方、考え方が



帰国後の生活やビジネスシーンに大いに役に立っている。





ここに集まった人間はみんな自分の居場所を自分で見つけそこにいる。



私は自分の場所は自分で探さないといけないと言うごく当たり前な事をすっかり忘れていた。





今はサハラボケしてるので 何か人をHappyにさせる仕事をしたいと思い始めている(笑)



そのためには今いるところをとりあえずHappyにしてみようかな(笑)





自分の場所…



生活もあるが、もう今いる場所に拘らなくてもいいのかなぁとかね。




ほとんどのサハラメンバーはどうしたらHappyになるかを常に考えている。



オレはそれをスッカリ忘れていた。

アイト・ベン・ハドゥ

チャリティの翌日は選手全員ワルザザードで1日を過ごすことになります。



とりあえず朝からキクと尾西とメインホテルのグッズ売り場へ完走Tシャツを取りに行く。



ホテルに着くと予想通りそこに長蛇の列が出来ていた。



それぞれ買物が終わるとIBISに帰り世界遺産へ観光に行くことにしていた。



尾西が値切り手配してくれたジャンボタクシーにキク、尾西、高橋さん、佐藤さんとオレで出発。
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タクシーがその世界遺産が見渡せるとこで止まってくれ


そこのお土産屋さんで尾西が砂漠のバラを大量購入。



その後、世界遺産の入り口でタクシーを降りると運転手が近くのお店に入って友達みたいな人を連れてくるとガイドさんだという。



250デュラハムだから1人50デュラハム払えばいいやんみたいにしつこかったが



オレのSVO英会話で何とか振り切り世界遺産へ登る。
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お土産屋さんを抜けて遺跡の頂上を目指し坂をCP1より近いねってみんなで言いながら登っていく。
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みんなその遺跡を世界遺産としか呼ばないから今ネットで調べて〝アイト・ベン・ハドゥ〟という名前だと知ったところだ(笑)



多分、すぐ忘れるけど…。



↓頂上の遺跡
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↓その建物の中
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↓世界遺産でギネスの高橋さんと…(世界と世界に肖る)
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尾西のライフセーバーごっこにつきあったあと坂を下りていると


↓こいつの演奏聞いてたら金置いてけと言われ

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↓土産を買って
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↓戻っていった
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タクシーを待ってる間高橋さんがアイスをおごってくれた。

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帰りの道中、運転手が教えてくれたダースベイダーの撮影地に立ち寄ったが入場料が1人€50ということで諦める。



そしてホテルに帰り遅めの昼食。



↓これ何ていう食いもんだったけ
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メシ食った後、キクが毎日のゴールで支給されてた紅茶を買いたいと言うのでみんなでスーパーを探しホテルに帰る。
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スーパーの前で尾西が1人タクシーに乗って帰ったのが謎だが…(笑)


ホテルでは早めの夕食。

この日はキクとかずおサンとプールサイドで。



食事の後はまたキクと寝そべってボーっと…



昨日に引き続き幸せな気持ちで宙に浮く…(笑)



このスローライフがいつまでも続けばと思う…



部屋に帰ってかずおサンと話す。



またキクとは違う苦労人で人情派だ。



もっと話したかったがお互い疲れていたのだろう。



淳さんとかずおサンに会うために愛媛マラソンに申し込もう。





そうやってモロッコ最後の夜が終わってゆく。

Charity Stage

最終日はチャリティステージ。



みんなでユニセフのTシャツ着て7.7kmを走ります。



制限時間はないです。(多分…)



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↑社長 (意外とイケメン笑)



朝からナンバーカードいるの?とかざわついたり



みんなで写真撮り合ってはしゃいだり…



昨日までとは打って変わって緊張感など全く感じられない。
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↑日本人1位の杉ちゃんと



みんながブルーのTシャツ着てメダルを首にかけはしゃいでるのを見ると



完走した嬉しさとその誇りをだんだんと感じてくる。


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↑社長と社長の部下たち(笑)



実感がないみたいでやっぱあるんやなぁって…



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↑テント54とオレ(アフロの2人が今大会の主役チームAHOの孝ちゃん(黒)と親ちゃん(青))
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↑完走した日本人の仲間



もう忘れたが集合時間もスタートも30分くらい遅かった気がする。



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↑らくだ





スタート地点、普段は各々の位置についてのスタートであるが



みんな後ろの方で談笑している。
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ただ、ここからが大変…



ロキソニンが全く効かない(笑)





キクと尾西と一緒にテントの支え棒を杖がわりにしてスタート。
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1歩目からヤバくなり200mも行っただろうか



すでに後ろには数人しかいない…。



ただ違うのはオレが少し離れると2人が待っていてくれる…。



それを繰り返しながらバスが待つゴールへ向い歩を進める。


本当に足がヤバくてゴールできるんやろか?とか



制限時間あったらどうしよう?だとか考え始める。


みんなそれぞれ写真を取り合ったりしながら歩いている。


途中、最後のDuneだと思って3人持っていたボトルに砂を入れる。



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甲子園の土を持って帰るのより美しく見える?



↓オヤジが砂を拾ってる光景
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↓ボトルが持てないので杖とはここでお別れ
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遠くに見えるゴールっぽいとこに向かいひたすら歩くがなかなか進まず



砂の入ったボトルを何度も捨てそうになる(笑)
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そのゴールっぽいとこに入ると2人との距離が離れ始めるが
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その時キクがゴール見えたよ!と教えてくれオレが追いつくのを待ってくれてる。
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そこから集落に入り直角に曲がると最後のゴールが見えた。
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ゴール直前に広がるきれいな茶色い砂地を見ながら早く砂を拾いすぎたことを少しだけ後悔する。


ゴール前では尾西が肩を組んでゴールして最後は回れ右で挨拶して終わろうと提案するのでそうすることに…。



ゴール前3人で肩を組んで歩く

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遅い自分に合わせて歩いてくれた2人の事や本当の終わりが来たという思いが錯誤し涙が溢れて来た。



前日のマラソンステージをゴールした時の呆気なさとは全然違う感じで感慨深いものであった。
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オレが2人に本当に終わりやねと言うと


2人も同じ言葉で返してきた。


この日はオレにとってチャリティとは到底思えないある意味今大会で一番つらい1日となった。


ゴールではスタッフもいつもよりにこやかに見える。



袋に入った昼飯をもらい少し離れたバスが待つ場所へと歩いていく。



靴を脱ぎビーサンに履き替えバックパックをトランクに入れてバスに乗り込む。





車内は冷房をガンガンに冷やしてあった。



しばらく冷房の出口をボーっと見つめてたのを覚えている。





ワルザザードのホテルまでバスで3時間ほど。



走り出すと眠りにつき起きた時は標高の高い山道をバスは走っていた。



そこからしばらくすると車窓からワルザザードの町並みらしきものが見えてきた。



ワルザザードの中心部に着くと次々と選手を割り当てられたホテルに降ろし



最後に日本人選手が泊まるIBISホテルに着いた。





ホテルの前でメディカルチェックで預けてたトランクを受け取る。



ヨチヨチ歩きのオレを見つけたクラークがトランクを持ってきてくれた。



フロントで部屋割を確認してるとリタイアして先に帰ってた日本人とも遭遇する。



部屋に上がる時も別のクラークがトランクをかかえて部屋まで案内してくれた。



そこでルームメイトとなるかずおサンと挨拶し交代でシャワーを浴びベッドで寝ながら晩飯の時間を待つ。


食事はバイキングだった。



レース中挨拶できなかった牛さんに挨拶しバイキングを取りテーブルへ。


テーブルでは杉ちゃんと修造のノアさんの話で盛り上がり



その後、ノアさん本人がテーブルに来て食ったもん吐きそうなくらい笑った。


その後、部屋に帰るのも早いと思い、デザートを持ってプールサイドに出てみると



プールの反対側から福岡さ~んとお化けみたいな声で誰かが呼ぶので見てみるとキクだった。
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キクの横にはギネス高橋さんも横たわっていた。



高橋さんが飲んでいたビールを1杯いただいてオレも横になった。



その日の昼までは砂漠にいたのに



あの苦しみがウソのように幸せな気分だった。


ホントに幸せだった(笑)

3人無言でボーっと寝てるとなんか宙に浮いてる感じがしてきた。



人間って宙に浮くんやなぁ~って…(笑)


その後部屋に帰ってどうだったかとかはあまり覚えていないが



かずおサンもオレも早く寝たのだけは覚えている。

2014/06/02

Stage5 42.2km

夜中に目が覚めトイレに行きたくなるが


足の裏は数えきれないマメが化膿しててボロボロで立ちあがるのにも一苦労する。


もうその辺でしてしまおうかと思うほどだったがヘッドライトの先に尾西の寝顔が見え


今までいろんな汚れ仕事をこなしてきた自負があるオレでさえも


さすがに尾西の頭の上ではやれなかった。(笑)
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マラソンステージの朝は確か寝すぎてテントメイトに起こされた記憶がある。


足の裏を気にしながら食事をし寝袋を片づけバックパックに荷物を詰める。


隙間が多くなり軽くなったバックパックを見つめ何とも言えない気持ちになる。


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そろそろ最後の集合時間…


この日はロキソニンを朝1番で飲んだのだが全然効いてくれない。


事務局のアドバイスに足がむくんで靴が入らなくなるから1.5cmくらいの大きめの靴を準備するようにとあったがとうとうその日が来た。


靴紐を全開に緩めれば問題なく入る状態だったが3枚重ねのソックスを1枚はがし2枚でいくようにする。


集合時間になりスタート地点へ歩き出すがロキソニンが効いてくれない。


前日までのようにスタート地点で痛みが消えるようにも思えないが


ここまできたら1cmでも先に前に進むしかない…。


この日はマラソンステージで名前のとおり42.2km制限時間は12時間。



いつものようにキクとスタートラインに立つ。
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どうもキクの様子がいつもと違う…。(ように見えた)


元々無言のキクがもっと無言だ。


いつも喋る尾西も言葉少なで。


他の日本人選手も…。


そしてオレも。


これで最後だと言う寂しさと、


このステージを走破すれば完走だ!という思いとが交差するが


この日ゴールにたどり着く保障などどこにもない…。


そんな複雑な思いだがやはりこれで最後だという気持ちの方が勝って感慨に浸ってしまう。


サングラス越しの表情しか伺えないが、みんな同じ気持ちに近かったのだと思う。


最終日だからか絶対完走しようと近くにいる日本人選手とエールを送り合う。



パトリックの長い話も短く感じる。


そしてHappyが鳴り響きみんな踊りだす。


最後だからかいつもくたばってジッとしてるやつも


シャイで踊らないやつも踊ってる。



そしてカウントダウンが始まり最後のスタート!



キクとがっちり握手を交わし走り出す。
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この日の作戦はCPでは休まないだけだ。


もう走れないし、実際10歩も走っただろうか?


ムリだと判断して早めに歩くことに…。
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↑化膿した足裏でこれを踏まないといけません(笑)



なかなか早歩きが出来ない。


ロキソニンが効いてるのはわかるが両踵の両サイドと右足の小指のマメだけ効いてくれなくてそれらがシューズに触れて痛い…。


そんな中続々と日本人選手に抜かれとうとうラクダが見える!!


今回、レース中に初めてラクダを目にする。(制限時間と別に最後尾のラクダに抜かれたら失格になります。)



しばらくするとスタート時と変わって空が完全に曇っていた。


これなら7時間前後で走れたのにと少しだけ思うが


もう現実を見失うことはない。


CP1が小さく見え始めたところで日本人の小集団に抜かれた。


その時やっとロキソニンが効き始めた。
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CP1では予定通り水の補給だけですぐスタートした。


CP1を出ると100mくらい前にギネスの高橋さんが歩いていた。


ペットボトルを両手で素手に持ち歩いておられた。


Stage4までレース中高橋さんを見かけたのは崖で抜かれた時だけだ。


おそらくどこか悪くて走れないのだろう…。


フルマラソン1ヶ月連続のギネスを持つ高橋さんだから走りたくてたまらないのに走れていない…


みんなボロボロな状態でいるのはわかっているのに


前日の夜、足のマメの事で1人ナーバスになっていた自分を恥じた。
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そんな高橋さんの後ろ姿に励まされその背中を追いかける。


同じ間隔で追いかけるが徐々に高橋さんは見えなくなる。


これが底力の差なのかな…。



多少のアップダウンはあるがほとんどフラットなトレイルを進むとそのままCP2へ。

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CP2を出てからしばらくはよかったがだんだんロキソニンが効かなくなりペースが落ちてくるが気持ちは完全にゴールに向かっている。
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ロードマップの距離より遠く感じながらやっとのことでCP3に到着。
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CP3には社長の部下の中村君がちょうど出るとこだったが


彼は足を止めてオレと少し話してくれた。


彼のもうここまできたら完走は間違いないねという言葉でいい具合に緊張がとけた。


思えば中村君とはいつもCPで会ってたなと。


少し彼が速かったぐらいかな。



中村君が去った後、残り10kmオレもボトルに水をつぎ足し最後のゴールへ向う。
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最後なので痛みも忘れて…と言うのを多少期待してたが


痛みは増すばかり(笑)
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しかし気持ちはしっかり前を向いている。
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正直言うとあまりこの辺の記憶がないが


写真を振り返るとなんとなく思い出してくる。
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最後の山を越えると呆気なくゴールが見えた。
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昨日まではゴールが見えると喜んでいたのだが


この時はなぜかあぁ見えたくらいの感じだった。
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山を下りて最後の小さなDuneを越えながら


走ってゴールしようか歩こうか迷ってた時


10人くらいいたベルベル人が寄ってきて


オレの手をつかんだり肩を組んだりしてきてタカってくる(笑)


ベルベル人が寄ってくるのは慣れてるのだが


この時は高校生くらいの年の集団で結構しつこくタカってくる。


困ってたところ、すぐ後ろにいたイギリス人の女性ランナーが何か声をかけると


その集団がその女性の方にタカりにいった。


その女性も相当困ってたが自力で振り払ったのを確認して最後のゴールへ向い走り出す。
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走ろうか歩こうか迷ってたのに、ベルベル人に勢いをもらって?いつの間にか走ってた。


そこから平坦な砂地をゴールまで走る。



そしてゴール。
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勉強不足でこの日にメダルをもらうことを知らず
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キョトンとしている(笑)
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パトリックが出迎えてくれると少しだけホッとする。
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いろいろあったわりには意外と呆気ないゴール。


最終日成績 10時間13分20秒 868位



総合成績 63時間58分6秒 852位 



トップ選手がゴールしてから43時間30分29秒のことだった。



平均時速3.74km/h





テントに帰るとバックパックをおろすこともなく膝をついて足の裏を浮かす。



もらったメダルを何も考えず見ていた。





その夜の事は正直あまり覚えてない。





そういえば前日の夜、別テントの人たちに



昨年のマラソンステージの後にケータリングが出たので



今年も同じじゃないかと予想し残りの食料を全部譲っていたが



どうも晩飯は準備してないらしい(笑)



なのでこの日は晩飯抜きだ…。



他のテントメイトも同じく…。



と思っていたのだが



寒くなったのでバックパックからフリースを取り出したら



カレーうどんが1食分ポトリ膝元に…



食料は持ってないことになってたので悩んだが



いちお わざとらしくカレーうどんが1つあることをみんなに報告した(笑)



悩んだ挙句、それは朝めしにすることにした。

乾杯!

いつの間にかテントに横たわり寝ていたがデビーに起こされる。



上半身ハダカで寝てたので火傷するから何か着なさいと教えてくれる。



すると尾西がいて悔しそうにレースを振り返ってる 笑



どうもこの男 オレと遼くんにだけは負けまいと調整してるんじゃないかと疑い始める 笑




そして今日はコーラの支給日だ。



それを世界一美味いコーラと呼ぶ人もいる。



サハラマラソンに出た理由はたくさんある。



その中の一つはこのコーラだ。

約3年前に亡くなったオヤジは酒もタバコもギャンブルもやらないマジメな男だったが無類のコーラ好きで1日何本も飲んでいた。



いわゆるコーラ中毒者? 笑




なので サハラで亡き父とコーラで乾杯するのがオレの大きな夢だった。
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そんなことをしていると 最終ランナーがきてるといい

ゴールしてる全員が彼らを出迎えるためにゴールに向かっている。

19時が制限時間だったがまだ18時くらいではなかったか…?

オレは足がヤバかったので行かないって言うと

誰かが日本人だよ…と言うので

じゃあ行こうと腰を上げ キクのサンダルかりてオレもゴール地点へ向かうと遠くにチームAHOの黒と青のアフロが確認できる。

やっとこさゴール地点に着くと 1000人近い選手とスタッフがゴール手前両側に並び その間をラストランナーがゴールするのを拍手で迎える。

その中を孝ちゃんと親ちゃんが来ると思うと少しだけウルウルしてくる。

彼らがゴールに近づいてくると旅人まさとと社長もいた。

この瞬間、孝ちゃんと親ちゃんは完全に今大会の主役となった。

オレは列に並ぶことはできなかったが ゴールから出てくる4人と握手を交わした。

旅人まさとはなんとビーサンでゴールしていた。

3日目の恩人である社長と握手する時もう我慢できずに少し泣いた。

前述したように 社長が誘ってくれなかったら この時オレはそこにいることができなかったことを思い出したからだ。

それ以上その時の社長のなんとも言えない笑顔を見てるともっと泣きそうだったのでおめでとうと言いテントに帰った。









やっと陽が暮れて晩飯を食べる。





疲れているのか美味いはずの牛めしやチキンライスがまずい…





ブツブツ言ってたら遼君が白米とトレードしてくれると言うのでかなり助かった。





SOYJOYなんて問題外で全然喉を通らない。









そんな感じで残すはStage5のマラソンステージだ。





もうここまで来たらロキソニン次第(笑)









明日ゴールできれば完走だ!と覚悟を決めて寝た。

2014/05/30

Stage4 81.5km Part2

CP2を出るとすぐに山越えで足場は砂交じりの急斜面。



歩き出すと足の裏が痛い。



まだ2回目のロキソニンから3時間もたってないが、一休みしたら効かなくなるのだろうと感じる。



急斜面の山の頂上で腰をおろし休憩をとる。



10分くらいは座っていたか…。

歩き始めると早めの対応で3回目のロキソニンを飲む。



だんだん飲む間隔が短くなってる…



しばらくすると夕陽が落ちて来たので



適当に写真を撮りカメラをフロントバックにしまう。


Dscn0255_2



辺りが暗くなった頃、岩山に差し掛かり大きな岩で小休止していると稲永さんに抜かれる。



稲永さんはいつも決まってCP2の手前で抜かれるので



この日はずっと先を行ってられると思っていた。



稲永さんには追い越される時いつも励ましていただいた。


3日間大丈夫だった腰が少し痛くなるが岩山の頂上につくと平面のトレイルになる。



遠く先に行く選手が作るライトスティックの列と、ところどころある目印を頼りに歩き続ける。



そして真っ暗の中足首の上まで埋まってしまうDuneを下っていく。



その途中、フランス人に声をかけられ自分のライトスティックが点いてないと教えられ



点けてって頼むと渋々点けてくれた(笑)



そこからしばらくするとCP4についた。



腰を下ろすと天そばに火をつけてCP3で水を入れた白米を食べる。



ここで5分だけ目を閉じようと横になる。



ハッと目を開けるとちょうど1時間…。



オーバーナイトは寝ないと決めていたので少し寝ぼけながら慌ててロキソニンを飲んでスタートする。



スタート時はテントの中にいる日本人選手を多く見つけた。



あとで聞いたが意外とCP4で仮眠をとった人は多かったみたいだ。



スタート前の朝、杉ちゃんがテントでアドバイスをくれたのは



杉ちゃんたちも22時まで頑張ってるんだから22時までは頑張れと。



それと最低でもCP5まではたどり着いとこうと言ってたので迷うことなくうスタートした。





最初は寝ぼけていたがいつの間にかロキソニンも効き始め



CP4手前のDuneと比べて平らな岩盤地帯をCP5のレーザー目指して1人歩く。



快適な早歩きだ。



スタート時にフリースを出し忘れたがCP5までは体が冷えることなく歩く。



驚いたと言えば、歩いてる途中、岩の上を軽快に走る足音が聞こえてきてだんだん近くなるので振り向いてみると



ヘッドライトを点けずに青い服をきた人が結構なスピードで近づいてくるので



ベルベル人に引っ手繰られるんじゃないかと思いどういう風にとっちめようかいろいろ考えてると



オレの真横に来たので目を合わせるとオトシだった(笑)



今回の243.9kmの中で1番びっくりした時かもしれない。



ヘッドライトを消すと月の明かりでキレイだと教えてくれたのでその通りしてみると



キレイだった。



CP4を出るときには雲が目立って星が隠れてたのだが、いつしかキレイに星が出ていた。



CP5までは順調にたどり着いた。





CP5ではボトルに水をつぎ足しロキソニンを飲んですぐにスタートする。



この頃になるとロキソニンを飲むことに躊躇などなくなっていた。



最初、どっちに行くのか迷ったがはるか遠くのライトスティックを見つけてそっちに歩き出す。





CP4まですんなりだったし道中無理もしていない。



しかもCP4で予定外に1時間寝てしまってたのでオーバーナイトをこのままの調子でゴールすることを想定していた。





しかし 徐々にロキソニンが効かなくなり岩場や石を踏むと痛みを感じそれがやがて激痛に変わる。



それでも我慢して1人先に進むがこの時間って誰か走ってる人いるの?と後ろを振り返るが誰もいない…



1人であるが視力だけはよいので目印を見つけながら前に進む。



歩くペースが極端に落ちてきて寒くなってくる。



バックパックをおろしてフリースを出す余裕もない…。





トレイルと岩盤が終わり平行なDuneが続く。



普通の時は恐る恐るだがロキソニンが効いてる時は逆で平気でDuneに足を突っ込んでいる。



ゴール後の足の状態など考えていられない。



寒気を感じた後だんだんフラフラになるのがわかる。



たぶんこの時は相当フラフラしていたと思う。



はるか遠くにCP6の灯りであろう灯りが見えるが全然近づかない。



ある時ふと後ろを振り返るとホタルノヒカリみたいに4~5人の列が見える。



もうその場に座り込みたいが立ち止まらないと決めている。



サハラマラソンは根性だけではどうにもならないのだが



この時は根性だけだ(笑)



そしてその提灯行列(笑)がオレを抜いて行く時最後尾にrenaさんがいて



ゴールはもう間に合うから休みながら行ってください!みたいな声をかけてくれて抜いていく。



そこで少しだけ冷静になってどう休むかを考えながらフラフラ歩く。しかも寒いし…。



自問自答の末、renaさんの言うことと自分の決め事であるゴールまで寝ないの中間で



CP6で寝ることにした。



それからなかなか近づかないCP6を目指しやっとこさゴール。



CP6ではテントがフルで靴を脱ぐ気力もないのでデカい石ころの上に寝袋を敷いて靴を履いたまま寝た。



ちょうど朝5時だった。





どこの国のやつか知らないがオレの顔の真横にしょんべんをしやがったおかげで目が覚める。



うっすら夜が明けていてちょうど6時だった。



今回はちょうどが多い…。



寝袋を雑にたたんでバックパックに押し込みスタートしようとしたが



トラッシュが20mくらい後方にあるのでそこまで戻り空のペットボトルを捨ててスタート。



ロキソニンも忘れず飲む。





残りは12kmくらいだったか。





↓こんな感じのとこを足が痛いのでスローモーションで歩く。
Dscn0259_2

なかなか効かないロキソニン。
Dscn0260_2

日差しを受けたくないが出来ることなら24時間以内(9時まで)にゴールしたい。





あと少しという気持ちと足の痛みを感じながら



8時頃遠くにビバーグが見える。



30分くらいで着くだろうと推測するがなかなか着かない。
Dscn0262_2

30分たっても
Dscn0265_2

1時間たっても
Dscn0266_3

ゴールが見えてから約1時間半でゴール
Dscn0267_2


24時間29分24秒 786位

テントに帰るとキクしかいない。いつもテント5位のオレが2位や!



意味のない順位だが尾西をやっと倒した(笑)





そのまま寝るのかと思っていたが1時間くらいダラダラして寝た。